9月の園だより

9月暗唱聖句
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)

園長 本田栄一

 

長い夏休みが終わりました。今年は天候が不安定でしたので、計画通りにはいかなかったかもしれませんね。長雨のために東北地方では作物の成長が心配されています。

ところで、8月は戦争の記憶を思い起こし、歴史の教訓を心に刻むときですね!
今年はNHKから戦争をテーマにした特集番組が放送されました。空襲の記録など、いずれも、秀作でした。そのなかのひとつ、「インパール作戦」をテーマにしたドキュメンタリーに感銘を受けました。この作戦を遂行した指導者の判断がいかに無謀なものであったか、将兵の証言を聞いていると暗澹たる思いにやりきれなくなりました。この作戦では多くの兵士が病気や飢え支援を受けることなく見捨てられて亡くなったことが明らかにされていました。

さて、今月の聖句、イエスの「山上の教え」のなかの一節です。聖書のことばのなかでもよく知られたことばの一つです。しかし、疑問に思うのは、「求めれば与えられる」という約束はあまりにも軽すぎないでしょうか。「求めさえすれば」と言うのであれば、努力は無駄であり、この教えは何の徳目にも値しないまやかしと言えるでしょう。
この教えの真意はどこにあるのでしょうか。ここで、注意していただきたいのは、ここで使われている原語の動詞はたんなる現在形に訳すのではなく、継続をも表しているので継続性を表す表記に改めることが正しいと思います。ですから、安易な願望を実現する約束ではありません。

イエスの思いには、その場限りの要求ではなく、普段から、願い求め、不断の努力を続けている場合が前提されています。ということは、「求め続ける」ことにより果実が約束されていることになります。さらに、イエスの教えに注目したいのは、その果実は自分だけに利するものではないことが想定されていることです。この箇所の最後のまとめの句は「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とあります。果実を独り占めしないで、みんなで分かち合いなさいという勧めです。

一見、わかりやすい教えのようですが、よく考えるとなかなか深遠な内容です。

 

 

 


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